思えば…最初はポスターの提案作業からだったな。
その大きな仕事は、獲得の段階では全く声も掛からず、提案書の実施体制図も実際とは程遠い位置だった(それも申し訳程度)。動き始めて初めて呼ばれると、本番までの約5ヶ月、殆どの時間をそれに割かれる日々が続く。
思えば…毎度大仕事が来る度こうなる気がする。例のイ◯◯◯◯◯◯◯、大◯◯◯、パ◯◯◯。呼ばれないんだよな…最初は。(代打の切札とある担当は言った)
そして足掛け3年。先日、本番終了後10ヶ月かかった冊子を最後の納品物として納め、すべてを完了した。その際、先に挙げた大仕事同様、最大限の評価を頂いた。やってよかった。あの日々がすべて肯定された瞬間。
「その」本番はたったの数日である。
その準備と広報に半年弱。
そして10ヶ月かけてこれら記録を一冊にしたのだ。
長かった。そして、あっという間。
思えば…その本番はとっくの昔、去年の4月。薄れようのない記憶ではあるが、正直感情は上書きされている。
他の仕事同様、手探りかつ正面からぶつかっていった。それぞれの思惑や言葉を翻訳しラフに描き、各所に都度理由や解釈を伝えながら。全体がまとまるよう、良くも悪くも「ひとつの意志」として、誰もが理解できるように。
思えば…どの仕事でもそんな立ち位置を、求められずともやってきた気がする。5年に一度くらい繰り返されてきたような。
そして、トップが満足し、「胸を張れるものができた、皆で作ったんだ」という意識になることが絶対必要だ。どんなに正しく理屈が通り時代に沿い名のある会社が手掛けたとしても、制作のミッションは、クリエイティビティなんかではないのかもしれない。
「…サイト、一新されてましたね」
「…ええ、◯◯という会社に言われるままになっちゃいまして…」
「」
というのはよく聞く話。残念ながら。
短い時間と限られた費用で正しく進めるにはあまりに複雑な作業。だからどうしても「とはいえ」論になり、どちらか、あるいはどちらも妥協するか揉めることになる。
うーん。
手抜きとか、クオリティとか、忖度とか、そんな簡単な話ではないし、それでもプロかとか感情なのか常識なのか、誰にも答えなんかない。いや、正解なんかない。そんな世界。
それでもとにかく、
ぶつかることを恐れずこれまでの経験を全部持ち込み、形と言葉にし続けることでしかなかった。
結果、自分で無数にラフを描いた。グラフィックやWEBそれぞれのチームがいたが、誰よりも「かいた」かも知れない。
それでも次の大仕事に呼ばれない辺り、これで良かったのかどうか。この経験が目に見えて生きたためしもないが、ま、自分だけにしまっとけばいいか。
だからこそ、
「あなたがいなければできなかった」
「どこへ行ったとしても必ず声を掛ける」
と、言っていただけたのは、
間違いなく正しかったと思える出来事。
そして当然自分の力だけではない。
ラフを、指示を、スケジュールを、
度重なる変更を、読めない赤字を、
全部飲み込んでくれ、形にしてくれた、皆さんに感謝。
このまたひとつ自分に加わった、
貴重な経験に大感謝。
2022.11-2024.2
#G #cd