コシトタニマトマルイスト

やっぱり旅に出たいCW/CD系会社員の、すべて独り言。

覚悟の一年がはじまる

2024年1月3日。

明日から仕事だ。あっという間の6日間。初めからわかっていたけれど。

とは言え、明日休みの業者も多く、2日行けばまた3連休。最終日の28日も自分だけ出社したりして、うまく仕事が軌道に乗るか。最後の週、実は不安かストレスかそれ以外か、微妙に体調を崩していた。今月始まるキャンペーンがあることと、その前日検査があることと、さらにそんな年はじめにこんなことが起きるなんて。

 

元旦を自分の実家で半日過ごし、翌日これも恒例、家内が自身の実家に子どもたちと泊まる、そんな矢先。年末に機種変更したばかりのスマホから、大きな警告音が鳴った。大きな地震、しかもどこが震源かわからないまま、この倉敷に緊急地震速報が入る。

情報量の多いスマホのアプリでさえ、一瞬どこがどの程度揺れるのかわからない。結局震源地は石川県、ここ倉敷は震度3だったという。どことなく生ぬるく大きなナマズが這うような揺れ。グラグラといった、経験したことのある揺れとは大分異なる感覚だった。震度3もある感じはない。が。

 

正月ムードは一瞬にして破壊された。その後も現地では震度5クラスの余震が続いている。北陸の冬の寒さ。そして雨も強く降る予報。自分が経験したこともないような大きな揺れが頻発しているなんて、想像もつかない。映し出される映像。津波、倒壊した古い家屋、広がる火災、増え続ける数字。

映像的には日本が終わるように見える(何度となく目にした災害もそうだが)。感情が一定でいつも冷静な息子が、絶望的な言葉を漏らす。無理もない。それでも現地で被災している人、そこに立ち向かう人、日本を支える人がいる。懸命にできることを考え、動いている。不安が大きいのは、親の影響かも知れない。すまない。従姉が済むスイスが安全なんじゃないかと、本気で話をしている。自分も一瞬そう思った。

 

昨日実家では、87になる父親と久々に昔の話をしたばかり。敗戦直後の話、その後叔父を襲う悲劇、兄としての使命…そんな今までできなかった話をしたばかりだった。この年になっても頑丈な体でいられる父の生きた時代。それとは別の次元で不安が襲ってくる時代。俺は子どもたちに安心をどれだけ与えてやれるのだろうか。

 

加えて昨日は、BSで「沈まぬ太陽」を観た。そして本当に起きた羽田空港での衝突事故、さらに福岡での大規模火災。年が変わって僅か二日、処理しきれない現実が次から次へと入ってくる。結びつけてしまうのはよくないこと。が、しかし。

 

やはりあきらめないこと、そして一歩ずつ…

 

現実から目をそらさないように箇条書きにしてみる。

中長期的には、

  • 昨年後半急いで始め、手を引いた”ある勉強”(続きをしなければいけない)
  • 息子の成績と進学問題。(娘はしばらくはいい)
  • 家族の安心と安全。(やりすぎることはない)
  • 自分の将来。(書くこと。それだけか)

直近では、

  • すぐに始まるキャンペーン。(仕事、リカバリー)
  • 近づく内視鏡検査。(結果に一喜一憂するなというのは無理な話)
  • 完成待ちのバイクの入院。

 

何一つ安心できる根拠はない。

が、それでも覚悟を決め、すべて一歩ずつ前に進むだけ。

そんな一年が始まったのだ。

 

自分と家族のため。。。