コシトタニマトマルイスト

やっぱり旅に出たいCW/CD系会社員の、すべて独り言。

そしてまた生きるのだ

とはいえ、心配だった。

 

取っていない、見つからなかったのは事実。

ならば安心しかない、はず。

それでも、それがどういうことか理解できていないのも事実。

向き合えてない。これに限ったことではないが…

 

仕事を抜け順番を待つ、いつもお世話になっている大病院。いつもの(といってもまだ数度しか話したことのない)、女性の先生。淡々と話すその方が、どこか苦手だった。

 

結果。次は数年後でいい。今回「取るようなものは」無かった。前回取った跡も問題なかった。なので、検診で引っかかれば別だが、ということを話し終えるとさっさと終わろうとされた。

いや、待ってくれ。一緒に喜んでくれとは言わないが、これまであなたは「言った」かも知れないが、こっちには「伝わってない」。どれ位心配が必要なのか、教えてくれと。

すると、心配しなくていい。それが必要なのは、取れなくなってからだと。

 

ほっとし、自然と感謝の言葉が出た。まずは数年が約束された。しかしもともと有限の時間。それを意識し終わりがあることをはじめて理解したからこそ、はじまりを理解したように思う。それに、それがあるから終わりというゼロイチではなく、そうであっても今を精一杯楽しめるのだと教えられたような気がする。今更ながら。

 

ここにもうまく書けない。が、実はこうやって皆暮らしているのかと思うと、手放しで生きているやつなんかいないと思えるようにもなった。その中で皆、楽しみ喜び頑張っているのだと。

 

まずはそれだけ。その有限を刻むように長らえていくもの、それが生きること。なのだと