長旅に憧れる自分と、今の状況(経済面、体力気力やバイク、直前までいつも仕事が休みに被るとか)、普段の準備不足を考えるとかなり無理っぽいかなと思い始めてきた。
当然やりたい気持ち→課題→準備となる訳だが、きっとその気持ちが薄れてるのだろう。昔からホントに計画が苦手だった、無計画人生。
当初の予定からかなり好転したGWの天気にもかかわらず、ふらっと出る他ない。言い訳かもしれんが。
そんな訳で5連休初日は昼から「ただ走りたく」、この時間なので『182ぐるり』へ。
486を西に矢掛、井原から福山。流石にバイクによく会う。若い頃を思い出す。圧倒的にグループが多いな。そしてこの道、なかなかのんびり走らせてくれない。
182の道の駅で休憩。
とは言えLAWSONで、ノンアル休憩。
うるさいバイクも多い。なぜここで爆音を聞かせられなきゃいけないんだ?わからん。
さっさと出るが、入れ替わりにGSらしきバイクが。何度か今日は見ることになる。みな新しいGSだけど。
そこから東城、鯉が窪と抜けるがここでも制限+αで走ってた後から、その2倍くらいの速さの2台のビ◯◯クに近づかれ抜かせる。何でこの田舎の快走路をこの速度で譲らんといけないんだ。遠くからハイビーム(に見えた)で近づいて、しかも250…
気を取り直してK441に折れる。…自分は、何かを見つけながら走るというか、何も考えてないようで考えながら走るのが好きなのかも。「あの時の感情や風景」を思い出したり、目の前の暮らしや歴史を想像したり、がとても楽しいようだ。知ってる道を何度走っても充実させてしまう理由なのかもしれない。良いのか悪いのか。
こんなとこに出た。
旧哲多町の宮河内というところ。山の中(のようで近くに「食源の里祥華」という割と大きなレストランがある)にふと現れる複雑な石垣の形状。棚田?何かの跡?惹かれて写真を撮ってると、何かありましたかと地元の方に聞かれた。当たり前の風景なんだろうけど、こういう発見もまたよい。
その後はひたすら180南下。それだけと言えばそれだけ。思いの外全身が疲れた。旅するには体も鍛えないといけない。
世の中AIだ。スマホ開くと「今やらないといけないこと」が次々出てくる。後で楽になるための努力とか、生き残るために必要なこととか。しかしこれまでのどんな技術もそうなったか?そんな情報と真逆の行動の狭間で生きてるおじさんになった自分。
ほどほどに生きる他ないね。>俺