コシトタニマトマルイスト

やっぱり旅に出たいCW/CD系会社員の、すべて独り言。

人生とか。

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2018年、平成も30年になって二十日が過ぎた。(今年初ブログである)

今さら、本当に今さらなんだけど、この歳になってやっと空を見上げていいなと思えるようになった。身近なことが幸せだと思えるようになった。生まれ育った家の近所を小一時間程歩くことが楽しくなり、今まで何を無理して否定してきたのか、いやだからこそ今があるんだろうなどと、夕陽を見たり空を撮ったり古くも小奇麗な家並みが心地よかったり、そんな”週末夕方歩き”をずっと続けている。(腰のためでもある)

歩いていると昔を思い出せるのもいい。友達の家に遊びに行くと、自分の家にはないモノや人間模様に触れたものだが、今でも他所の一軒家を見るとその頃を思い出し、それぞれの幸せを想像してしまう。何だかとても良い時間。

あと、なんだろう。余計なことは気にしなくなった(しょうもない)。無駄に日常を消耗していた自分は、ほぼいなくなった。去年から続く大きな仕事も何個かあって、今まで通りストレスもあるしうまくいかないことのほうが多いけど、ネガの量は変わらずポジ量が増えたと言うか、とにかくほんと今さらだが。

 

今日なんか暖かったし、歩いたのは色々用事済ませた後。

(そうそうドラッグストアでも色々食材買い込んだんだ。…というか、はてブロ便利だな、このTwitterの貼り付け)

時々腰も張るけど治療院の先生に教えてもらったように、気持ちも引きずらないようにできてる。週末歩きも、最近はスロージョギング+スローシャドーボクシングが出来つつある。いろんなことを経験した分だけ(マズイことのほうが多いかもしれないが)、少しずついや少しだけまともになってるのだろうか。生きてるってことだろうか、これが。

 

言い訳かもしれないが、こんな性格やこんな人生で良かったとも思っている。初めから柔軟だったらやり過ごせたことも吸収できたことも当然だ。でも目に鱗があったからこそ落ちた時の喜びや、頑なさの先に獲得したモノの価値が大きい気がする。コピーとの出会いもそう。デザインに見切りをつけた、やっぱり言い訳か。

キモチの薬も要らなくなり腰とも上手く付き合えるようになった(はず)。10年前から少しずつ頭をもたげ長く自分の一番近くに巣食ってきたこいつらを、無視するのではなく”いい関係”に、そんな感じ。世の中や人間の一部であり大切なこいつらを、ようやく。―まったく遅かったが。(間違いない)

 

 

…「人生は、手遅れの繰り返し」だという(『折々の言葉』朝日新聞)。