平成30年7月豪雨の大水害から2週間。
幸いにも家族は皆無事で、逆にあれから雨が降っていない。記録的猛暑が続く。
日を追うごとに明らかになる被害状況、増え続けた被害者数。
それでも同じ市内・町内でも状況が違えば、意識も違う。災害ってそういうものなのか、改めて知った今回の出来事。阪神淡路大震災も、東日本大震災も、熊本地震も、見てただけのことだった。
生きている幸せ、何もなかった幸運。日常が殆どを占めているありがたみ。
それにしても、警報、避難情報、水位…、デマとか正確さとか公式発表とか報道とか。情報について、正しさについて考えさせられた。そして、それ以上に意識の違い、温度差。何かを発信できるというのは、うまく言うなんてただのエゴかも知れない。コピーライターとして何が出来るかなんて。
被災者は今をどうにかしなければならないし、今後への不安を一ミリでもなくしたい。行政含め支援者はどうか。被災しなかった他の県民はどうか。何を思い何を目指しているのか。
災害支援の最前線にいるネットワークにスローガンを依頼され、報告会議に顔を出した。ビルの一室に100人を超す熱量、各避難所から吸い上げられる情報・課題、そして統制されていない何か。仕組みとか順序とか表現とか。効率など考えるべきではないのかもしれないが、これから起こりうる被災地での二次災害・心のケア・暴力被害。「頑張る」、ほかないのか。先走る想い、見えない仕組み。
県内中自粛の嵐だ。主要なイベントは軒並み中止。地元の盆踊りまでなくなった。被災地を応援するでもなく、被災者に義援金を集めるでもなく、代わりにこれをするから復興した際には大々的にやると発表もなく。
自粛って何だ。
大丈夫だったところが何もしないことで、誰が喜ぶのだ。誰が助かるのだ。子どもたちは残念がり、理由も分からず次への行動も起こせない。自粛って何だ。お祭りをして亡くなった方に手を合わせ、売上の一部を義援金に回し、地域でも備えていこうということで、さらにコミュニティは強くなると思うのに。
自治体の発信力の違いが支援に差を生んでるケースがあったようだ。送り手の情報格差。被災地は電波が届かない。要支援者はデジタルから遠い。報道にはバイアスがかかる。今後に向けて、今日そのものをどうするか。被災した人も、日常にいる人も、みんなんで考えるべきではないかと、思った。
自粛って何だ。
僕は、僕らは考えようと思う。