コシトタニマトマルイスト

やっぱり旅に出たいCW/CD系会社員の、すべて独り言。

激闘のち、一安心

今日は毎年恒例(になってしまった)内視鏡検査の日。

一年前から入れていた予約。

でもつい数週間ほど前から、忘れていた不安が急に大きくなった。まともに立っていられないほどに。(昔からの自分の性格で災害時にも通じるのだが、必要以上に捉えてしまい正しく状況へ向き合えない思考の問題。と後になって思う)

 

で、ある瞬間、悟ったというか、至った。

それは「最悪、で想像(思考)を止めず、それが起こったとき、その中で持ち込める最高の良い状況まで想像(思考)する」ことと、「常に可能な範囲で、最善を尽くす」こと。要するに「不安」への向き合い方のようなものを見つけた。と同時に、この歳になって今更そんなことに気づいたのだ。

当然、これで不安がゼロになる人生ではないのだが、無用なダメージを必要以上に受けなくて済むではないかと(ほんと今更ながら)。

 

3日前から食事制限がはじまった。

NGなのは、とにかく消化の悪いもの(硬い繊維質や強い脂質なんか。要するに野菜を中心とする植物)。これがめんどくさい。

3日目の2食は市販の専用食にして、他は大体具なし麺にした。意外なほど海苔やネギが多くの食品に使われていて、買う時ずいぶんと避ける必要があった。おにぎりも味噌汁もラーメンも。

 

で、当日。毎年だがおさらい。

最初の関門は、①朝5時起き。検査自体が9時半、来院は8時半となってるから、家を出る時間と「出し切る2時間半」を逆算するとこうなる。

②大量に飲む。前夜のG剤に加え、朝コップ2杯で飲むG剤がスタート。ここから前日作っておいたG剤2リットルを2時間かけて飲みながら、これは全部出るため、同時に水分を1リットル以上飲む。決められたペースを守りつつ記録しつつ。調子がいいのは最初だけ。

そして最後は、③きれいになるまで。計12回、行った。最後は完全に水。そしてひりひりと…。これでようやく家を出られるのだ。

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今回で4回目。ある程度慣れては来たが、今回は不安とひりつきで複雑な気持ちだ。

健康診断のレントゲンのように、何度も向きを変えさせられた。目の前の大きな画面を見る勇気がない。実はあれだけ「飲んだ」があれだけ出たからか、それとも不安からか、喉がかなり渇く。注射を打っているせいもあるらしい。苦しい時間。腹部を押さえられると、本当にきつかった。いちいち痛い。そこにあんなものが出入りしているのだ。塗られているとは言え、出ている感じがする(前回は遠慮なくと言われていた)。

 

もうすぐですからの一声で、峠超えを感じる。もうすぐだ、もうすぐだ。 

 

そしてついに、終わった。

 「今回は、見つかりませんでした」

 「きれいになってましたよ」…

 

よかった。本当に、よかった。

この安堵感。何もかもが肯定されたような安心感。

 

説明は後日なので、極めて効率的に検査は終わり、その後は安静に。ふと電動リクライニング椅子で休んでいると、看護師さんの声が聞こえる。

年配の患者さんに説明しているのだが、専門用語を使わず、安心させ、わかりやすく、岡山弁で伝えている。そこに大変なプロフェショナルを感じた。まだまだ学ぶことはたくさんある。少々ふらつきながら帰宅。

 

早朝からの激闘と薬の影響で、何もできない。

とにかく休もう。

 

神様はチャンスをくれた。最悪は持ち越され、少なくとも1年は安心できるはず。

 

感謝。感謝。

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心境の変化、だといいが。

後ろ向きである。

前を向いているつもりで後退しているのか、

前進してはいるが後ろを向いているのかわからないが、

特にこの仕事には向いていない。

 

その傾向が顕著になったのは今の仕事に就いた直後。

通勤も辛くなり、仕事は何とかこなしていた、という感じ。

安定剤を頓服で飲んでいたが、替えた病院で違う処方をするように。

数年後断薬。

 

そして、平成30年の西日本豪雨

これ以降毎年災害情報・避難情報が続くようになり、

他の人より過剰に反応するようになったかもしれない。

 

元々不安が強い傾向だったようで、

特に自分でどうにもできない状況に対応できないのが原因だったよう。

それからは市販の漢方を常備するようになった。

 

加えて、健康面(一昨年のアレ)、経済面(手遅れと最善と)、仕事(ずっとストレス)と挙げればキリがない。要するに、じゃあどうするか。

 

辿り着いたのは
①最悪の最高
②可能の最善

 

つまりシンプルに
・それ以上悪い想定はないことを知る
・最悪のケースで楽しむ想定を済ませとく
・出来ないことはしない
・出来ることはする

これが自分にとってできることかなと。

一時的かもしれないが、不安やモヤモヤが少なくなった気がする。

 

あと。

バイクを車検&修理に出しているのだが、代車がスクーターで、天気がいいからと走る気にはなれない(何度か出たが、うーむ)。結果、休みの使い方が変わって、ひょっとするとバイクに乗ることで時間やお金や思考を失ってきたのかな、などと今更か…

 

時は戻せないんだよなあ。

なので、今できる最善を。

それで悩みや不安に線を引くことは、

ベストではなくとも、大事な作業だと思えたという備忘録。

覚悟の一年がはじまる

2024年1月3日。

明日から仕事だ。あっという間の6日間。初めからわかっていたけれど。

とは言え、明日休みの業者も多く、2日行けばまた3連休。最終日の28日も自分だけ出社したりして、うまく仕事が軌道に乗るか。最後の週、実は不安かストレスかそれ以外か、微妙に体調を崩していた。今月始まるキャンペーンがあることと、その前日検査があることと、さらにそんな年はじめにこんなことが起きるなんて。

 

元旦を自分の実家で半日過ごし、翌日これも恒例、家内が自身の実家に子どもたちと泊まる、そんな矢先。年末に機種変更したばかりのスマホから、大きな警告音が鳴った。大きな地震、しかもどこが震源かわからないまま、この倉敷に緊急地震速報が入る。

情報量の多いスマホのアプリでさえ、一瞬どこがどの程度揺れるのかわからない。結局震源地は石川県、ここ倉敷は震度3だったという。どことなく生ぬるく大きなナマズが這うような揺れ。グラグラといった、経験したことのある揺れとは大分異なる感覚だった。震度3もある感じはない。が。

 

正月ムードは一瞬にして破壊された。その後も現地では震度5クラスの余震が続いている。北陸の冬の寒さ。そして雨も強く降る予報。自分が経験したこともないような大きな揺れが頻発しているなんて、想像もつかない。映し出される映像。津波、倒壊した古い家屋、広がる火災、増え続ける数字。

映像的には日本が終わるように見える(何度となく目にした災害もそうだが)。感情が一定でいつも冷静な息子が、絶望的な言葉を漏らす。無理もない。それでも現地で被災している人、そこに立ち向かう人、日本を支える人がいる。懸命にできることを考え、動いている。不安が大きいのは、親の影響かも知れない。すまない。従姉が済むスイスが安全なんじゃないかと、本気で話をしている。自分も一瞬そう思った。

 

昨日実家では、87になる父親と久々に昔の話をしたばかり。敗戦直後の話、その後叔父を襲う悲劇、兄としての使命…そんな今までできなかった話をしたばかりだった。この年になっても頑丈な体でいられる父の生きた時代。それとは別の次元で不安が襲ってくる時代。俺は子どもたちに安心をどれだけ与えてやれるのだろうか。

 

加えて昨日は、BSで「沈まぬ太陽」を観た。そして本当に起きた羽田空港での衝突事故、さらに福岡での大規模火災。年が変わって僅か二日、処理しきれない現実が次から次へと入ってくる。結びつけてしまうのはよくないこと。が、しかし。

 

やはりあきらめないこと、そして一歩ずつ…

 

現実から目をそらさないように箇条書きにしてみる。

中長期的には、

  • 昨年後半急いで始め、手を引いた”ある勉強”(続きをしなければいけない)
  • 息子の成績と進学問題。(娘はしばらくはいい)
  • 家族の安心と安全。(やりすぎることはない)
  • 自分の将来。(書くこと。それだけか)

直近では、

  • すぐに始まるキャンペーン。(仕事、リカバリー)
  • 近づく内視鏡検査。(結果に一喜一憂するなというのは無理な話)
  • 完成待ちのバイクの入院。

 

何一つ安心できる根拠はない。

が、それでも覚悟を決め、すべて一歩ずつ前に進むだけ。

そんな一年が始まったのだ。

 

自分と家族のため。。。

utu. のち、思い出。のち、大渋滞。

あまりいい日じゃなかった。

上が150。月一通っているかかりつけで、通い始めて一番高い数値だった(と思う)。

心当たりはある。自覚もしていた。だから朝、「漢方」も飲んでいた。それでも。

 

明らかに不安が大きい。一昨日の「断った」件がトリガーになったのだろう。

それだけじゃない。問題は山積み。昨日は振休だった。にも関わらず。

 

でもこの土日、GSを店に持ち込まなければならない。車検なのだ。

先週もリレーの異常は再現しなかったから、その症状の確認と心身の回復。そして何よりこの2日間、おそろしく暖かいらしく、どんなに心身が不調でも乗らない手はない。それが自分だ、残念ながら。

 

東の海に行ってみよう。しばらく西か、やや北が多かった。寒くなると上がれないのに、暖かい今日なんか北でもいいのだが、自分を取り戻したかったのだろう。給油ついでに添加剤を入れ、R2に乗る。

やはり走れば、少しずつ楽になっている。そして、R2は渋滞。

笹沖、妹尾。帰宅後GPSログを見返してみても見事に赤い軌跡。

何とか抜けて、ブルーラインを快走。取り合えず一本松で休憩。f:id:exmaruisu:20231209200014j:image

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あんまりきれいじゃなかったんで、モノクロ。写せる場所があまりないような。

 

その後はさらに東へ。R250を走りたかったので備前ICで下りて、R250を東へ。

改めてこの道の良さ。以前夕立受山に来たことがあったが、それ以来。この、狭い日生のまちを走る感じが、いい意味で心にひっかかる。

思い起こせば、海沿いのまちに縁があった。玉島、西条、水俣、鹿児島。だから潮の香りや波の音の方が、身近で落ち着く。自然で自分の中にあるもの。そしてどのまちも共通する何かがある。細部が似ている感じ。玉野とか児島とか浅口もだ。

 

日生港から五味の市のある半島に折れ、一周してみる。並ぶ船、どこかお洒落な店も多い。開けているというか、お洒落というか。先に挙げたまちの寂れ感だけは、ないかもしれない。

 

「日帰り天然温泉星乃湯」も凝った外観。向こうには「備前♡日生大橋」。

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何だろう、新しさと懐かしさが両方あるようだ。

 

その後「備前♡日生大橋」を渡って鹿久居島を少しだけ走る。停まって写せる場所が少なく、Uターンして戻ったのだが、また来よう。ここは県内最大の島らしく、道も一周してないので、手つかずの自然が残る島。何も調べずに来たので、俄然気になった。

 

もう一度、日生港辺り。
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そして、R2まではR250を走ろうと決めていたので、備前ICから西進。

この道は30年前の思い出の道。若い頃、高校の陸上部仲間と毎年明けに、備前にあるSの住む社員寮で徹夜麻雀をした思い出の地。先日その頃の仲間のLINEグループが出来たことがきっかけで、近くに来たなら絶対走ろうと思ったのだ。

近づくだけで懐かしい、あの頃の感情。帰省した実家に夜、クルマを持った奴の迎えが来て、面子を拾って向かった備前の道。全員独身で、途中買い出しながら向かった道。下らない話と駅伝の中継を見ながら、何半荘打ったかもわからないことを昨日のように思い出す。

 

ひとりずつ家庭を持つようになって自然消滅したのか思い出せないが、時間と場所と麻雀牌があったから出来たあの頃。いい加減なルールでも、一生のうちで一番語り合った時間かも知れない。

牌は途中から寮に置いていたと思う。それが僕の親父の麻雀牌。最後に結婚したSに預けていたのだけど、平成30年のあの日、その麻雀牌ごと新築のS邸を豪雨が飲み込んでしまった。Sは無事だったものの、建てたばかりの家は…。そして、牌が泥に浸かってしまったと連絡をくれたS。そんなことどうだって…

 

急に、急にいろいろと蘇ってきて、もう今朝のようなしんどい自分ではなくなっていた。むしろ心がじんとしてたりして。だから後はR2で帰るだけ、のはずだった。なのに…

渋滞に次ぐ渋滞。長船、倉田、豊成~青江、西市。すっかり日も暮れ、帰省ラッシュかのような渋滞ぶり。減り気味のオイル、爆弾を抱えたリレー、そもそもストップアンドゴーの苦手なGS。新しくできたバイパスもまったく意味をなしていない。大福でK21へしびれを切らしたが、こっちはもっと酷かった。流れそのものよりも、そこへ接続する信号がまずい。合流を妨げる直進、なのに信号は時差も矢印もない。

感知式でない信号を増やしたり、どんなに道をつくっても何も解決しないなんてどういう芸当なんだ。

 

再度R2に合流し、K152に折れるがここでも…。結局最後まで渋滞が付いてまわり、utu.は忘れられたが、折角の思い出も流されてしまった140km(たったの)。それも5時間もかかってしまうという消耗走。やっぱりR2はR2だ…

 

全行程

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思うところ。生きる難しさ~今さら篇

休んでいる。

一応振休なんだが、心身が「もやる」。壁に次ぐ壁。一難去ってまた一難。これ生きることかな。

 

まずGSの異音問題。ようやくフォグ問題(長かった)が終息した矢先に発生し各方面に相談(感謝)したものの、その後まったく再現せず、これもまた「もやって」いる。しかも車検だ。恐らくは燃料ポンプのリレーらしいのだが…

 

いや、そんなことより。

とあることを断念した。

遅蒔きながら勉強を始め、遅かった分少し踏み込んで、勇気を出して進めてきたものの、それでも怯んだ「条件」。意を決して飲もうとしたが、今度はこちらの「安全弁」が働きストップ。さらに抜け道の「提案」と「背中を押す言葉」に何度も揺らぐが、最後はこの流れの悪さ、再三に渡りこれを止めようとする見えない動きに気分も悪くなり結局…「選ばれた」はずだったが、やめることにした。

これでいいのか、何も変わらないじゃないか、そんな葛藤が本当に苦しかった。評価と裏腹に気持ちはちっとも前向きじゃなかった。これが成長とか前進なのかもしれないと思いながら。

 

今は正直ほっとしてる。家内に直前に相談したことも良かった(心から相談したと思う)。ひとりなら逆にやっていただろう。

いい経験になった。知識だけじゃなくて、こんな気持ちと状況になるなんて、広告や販促を仕事にしていたのが嘘のように、自分事とはこういうことだったのだ。

 

生きるって難しい、簡単な話ってない、でもやらなきゃわからないし、やらなきゃできない…当たり前なんだけど。今さら。

 

さてどうする。

息子の成績問題含めー。

R1150GSフォグランプ増設記~その6「修正完成のち悲報」

一旦完成を見たはずのフォグ。

翌日(11月12日)の試走ではわからなかったのだ(使わなかった)が、先週19日に走った帰り、どうやら接触が悪いのか点滅してしまってた。

細かいハンドル操作の際に点滅するのでWさんに聞いてみたところ、スイッチ回りが怪しそうと。なるほど。

 

というわけで、まずその辺り再配線。

今日は気温も高くて、いい天気なんだけどなあ。

開けてみるともう早速繋いだ部分から外れてしまった。駄目だこりゃ…&ビンゴ過ぎる。はんだを諦め圧着接続端子がうまくいかなかった結果がそのまま出てる。

これ↓エーモンの圧着接続端子3340。

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もう一回やり方調べとこう。電工ペンチもなかなか噛まなかったからなあ…

 

まずスイッチに繋がってる平形端子を外し、電工ペンチに付いてた端子から新たに延長。ああ電工ペンチ勝っててよかった。端子やギボシはなんぼあってもええですからね。(ちなみに3本あるのはONのランプ)
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今度はギボシで繋ぐ。実はもう一種類圧着接続端子(3326)を買ってて、こちらの方がスマートだったんだけど、ランプに付属していた配線が太くて入らなかった。ああ今のところギボシが最高。
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後はそれぞれテープとチューブでまとめて、タンクの下を通してスイッチを留めたら完成。
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取りあえずハンドルを左右に切っても切れなかったのでOK。走ろう。

 

家の中は22℃とか指してる。どこまでも行けそうだなと作業のせいで14時出になってしまったが、一旦新庄方面にでも行ってみるか。

 

だらっと313、K84、181で龍宮岩。

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薄暗くなるなか秋の色を収める。

が、下界(県南)の暖かさほどではなく、とは言えオフグローブのみで走れているという状況。そこら中にある「凍結注意」の看板と、なんとなく濡れ感のあるカーブ、そしてなんと言っても今16時という遅さ。ここから日暮れと気温の低下は早い。明日は急激に寒くなるはず…ま、いいかとここでUターンすることに決める。

 

その時だった。

 

少し広くなったところに停めて、エンジンを切ったGSから異音がしている。ブーーーという大きな音。なんだ、なんだ…これまでの経験で停めてもファンが鳴り続くことはあったが、GSは空冷(Wさんに聞いてそうかと思ったものの、でもそんな感じの音だった)…。そもそもキーをオフにして何かが動くことはないはず。そうなるともうパニックだ。景色どころか走りどころか…とにかく帰ろう、いや帰れるのか!ああ…

 

以前の記憶が過る。帰れなくなり引き上げること数回…とにかく帰るまでもってくれと。

でもずっと音は続いていた。空腹にもかかわらず休憩もせず。

 

途中の記憶も薄いがなんとか帰宅。エンジンオフ。まだ音がしている。それも10分後には消えたのだが…

Wさんに報告。情報が少なくすぐには思い当たらない。はあ…ほんとに一難去ってまた一難だなあ。

 

あ、しかも車検だよ…

 

 

R1150GSフォグランプ増設記~その5「再失敗からの篇」

リベンジを誓いつつ、朝からホムセン。

取り合えず短くなり過ぎたヒューズ電源の電線を延長しないといけない。

ホームセンターの店員さんが車のDIYをする人で、親身になっていろいろ話してくれた。

で買ったのは2sq(6m)の電線。本当は2mmと書いてあって単純に換算すると3sqらしいんだが、この辺がよくわからず、店員さん曰く「断面見ても1.25で充分だと思う」とのことで、マージン取って2を選択。とは言え、10cm程度どこか切っても良さそうなものだが、この辺の選択がやっぱり素人。(あと太めの収縮チューブも買った)
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はんだ付けは最小限にしたく、伸ばすところをギボシにした。んだが、GSのヒューズボックスの狭い範囲ではすぐに折れないといけないため、かなりの急角度となり、全くの失敗であることに気づく(orz)。しかも電源側の方を先に済ませてしまい、あ…ということに。(線というよりほぼ「棒」。まったくノーフレキシブル)

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かしめたギボシは外れず、切断するともはや延長不能…。

 

こうなると同じフリータイプの電源取出ヒューズを買うほかない、ということでカー用品店まで行くが、ない。今朝のホームセンターにはないのを知ってたが、と思って検索するとエーモンのサイトに「生産終了」の文字(orz)。

www.amon.jp

 

なんだよ…要るんだよこっちは泣

万事休した。

 

やっぱり基礎が出来ていないと全く応用が利かない。またしてもまたしても使わない部品が増えてしまった。昨日買ったはんだごて、はんだ、こて台、それを入れるケース、今日買った電線、収縮チューブ、その前に0.5sqの電線と細い収縮チューブも買ってる。また分岐のギボシや接続端子も買ってたし、電工ペンチも買った。電工ペンチには各端子も付属してて、結果経験以外は何も進んでいない。

 

しかし困った。また師匠Wさんに聞かなければいけない…申し訳ございません;

 

これこれこういうわけでと伝えると、では10Aの取り出しヒューズで代用しましょうとのこと。本日2度目のホームセンター。が…ない。

この作業の最初に同じことをしてるはずなんだが、その時は15Aを買いに来ていた。しょうがないので、カー用品店まで回る(本日2度目)。先週、先々週と作業してるけど、この木曜の夜から、何回来てるのやら。

 

するとあった。10Aの平形ヒューズ電源。

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はあ、遠回りの極致だがこれはだいぶスッキリしそう。で…Wさんには大変申し訳ないけど、手持ちの無駄部品たちを使った方が完成が早いと判断。ハンダ作業は次回にして、余裕の出来た配線を端子を使って繋いでった。…


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出来るところまで部屋で作業した方がいい。電源から分岐を。


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完成。仮完成からこんなに手間取るとは思ってもなかったけど、無駄にしたカシメや配線、使わなかった部品や道具は山のようにあるけど、まあなんとか。

無事点灯もしたし、取り敢えず今日は試走も出来なかったから明日は走りたい。

 

本当に長い間ありがとうございました。

そして理解も悪く何度も聞いてしまい、たいへん申し訳ありませんでした!