コシトタニマトマルイスト

やっぱり旅に出たいCW/CD系会社員の、すべて独り言。

久々小走り

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いや久々にGS乗ったわ。

5月の終わりに前職のバイク仲間と乗って以来。しかもその時後半腰が重くなってかなりしんどかったな…。

 

で、ようやく掴みかけてる感覚がある。どんどん動かすこと、良くしようと思いすぎないこと、あとはいい姿勢をできるだけ。

毎週末軽く走れてるしこの時が一番楽だし、多分間違いないはず。ストレッチも色々やり過ぎず、これと決めたのを時々。これでどうやら十分みたい。

 

これまでも一進一退を繰り返していろんなもん、それこそサプリ的なビタミン剤的なもんから得体の知れない運動までやったけど、これだけ体操で十分かもなあ。それより意識しすぎず動かした方が普通に良さそう。全く自分と同じようにかばい過ぎて慢性化した人のブログがあった。その人はこれまでの逆をやって、すっかり腰痛知らずになったという。

 

で、今日。午後から少し、宛もなく80km程か。

https://www.instagram.com/p/BmpvM4ig2RP/

久々に小走り。3ヶ月弱ぶりか…。暑い#r1150gs #bmwmotorrad #shorttrip

どこにも力を入れず骨盤を立たせ、それでいて動かしつつ楽に乗る。完璧を求めず、まあこんなもんかと乗れば、乗れるねえ笑


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180を北上、高梁のループ橋から道の駅かよう。ところどころ豪雨災害の爪痕が生々しかった。少し暑かったけど、バイク多かったかな。

 

明日ダメージなくて、ちょいちょい乗れてたらいいことにする。この手の腰痛は、整形外科が如何に見当違いな見立てをして稼ごうとするか身を持って知ったな、ほんと。

 

あ、最初の写真は、バイク乗ったあといつものように歩いた酒津の夕景。

企画とは

今日初めて、真備に入った。

この街との関わりは20年を超す。まだ結婚する前、家内の実家に行って以来だ。その街に降り掛かった未曾有の災害。向き合えない自分がいた。義母が無事だとわかってからも、報道のせいだけではなく、本音で言えば避けていたのかも知れない。

 

営業と2人、慣れ知った道を進み橋を渡る。視界に飛び込んでくる災害ゴミの山。3週間経ちある程度整理され、週末の台風の後でさえ砂っぽい景色、そこまで水面が来たと思わせるその何か。やはり…想像以上だ。脳が拒んでいる。世話になったバイク屋では、主人が泥だらけのアドベンチャーを洗っていた。

 

メインの国道から一本。ナビを頼りに向かったのは避難所になっている小学校。それでも元気に片付けている人がいる。狭い路地。ここも、そこも、理屈で知識でわかっていても、どこまで行っても壊された街。自衛隊車両を見ると涙が出るようになった。

 

小学校に着く。整備されたグラウンドの駐車場。今日は快晴。ここにコミュニティがある、生活があるんだと思うとまだ想像がつかない。体育館からたくさんのエアコンが出ている。高知県小金井市、県外からたくさんの方。

 

災害以降いろんな事を考えていた。いろんな言葉を書いた。何かすべきだと思った。そして、今日はとある企画の実現に向け、実際現地ではどう考えているか何を感じているかを知ろうとやって来たのだ。色々な方に声をかけ、知りうる限りの情報を仕入れ、細々調整をしながら、かなり固めてきたつもりだった。ところが。

 

会議前で忙しい校長先生からはあまりいい感触が得られなかった。教頭先生には一から説明するものの、実際子どもたちへの教育支援を行っている図書室へ行ってみては?と言われ、そこでも教育委員会の方が当番でいらっしゃったが、こちらの風体から怪しまれるばかり。そしてボランティアにたまたまいらっしゃった県議に詳しく話を聞けた。それでも。

被災地の現実、それはまったく自分の考えの及んでいない世界だった。綺麗事も大義名分も通用しない。理屈は素通りし、机上は空論だった。魅力とは、価値とは、企画とは。

結論から言うと、根本となる思いには同意頂けたものの、本当のニーズと、思いつきに等しいアイデアは一致しなかった。そして被災地の為であれば、急いでことを進める必要も微妙な価値観を無理して追い掛ける必要もない。

 

それでも折角来たのだからと校長先生の会議が終わるのを待つことにした。外の日陰で待つ。それぞれ役割があるらしい。出来始めたコミュニティで、安定を築き始めたところか。一日も早く抜け出したいだろう、一時的な日常。窓ガラスに貼られた「頑張ろう」の文字に涙が出る。たまらなかった。頑張っている人しかいない場所で、頑張る他ない場所で、頑張りたくなくても頑張ろうと言う他ない現実。ここで暮らすことなんて、想像どころか、現実だとすると―。

 

再度校長先生と話をする。もう結果は明確だった。気持ちは分かる。必要なことだとも分かっている。でも。…よかった。踏ん切りがついた。こうして現場で聞けて良かった。遠慮無く、否と聞けて。収穫も大きかった。タイミング、ニーズ。業界のためにも被災者のためにもその他の多くの方のためにも、そして会社のためにもならなければならない。

 

やはり企画は現地でやるべきだ。そしてこのチャレンジは正解だった。思い、考え、動いてよかった。

 

それが、自分の使命だと思って。

自粛

平成30年7月豪雨の大水害から2週間。

幸いにも家族は皆無事で、逆にあれから雨が降っていない。記録的猛暑が続く。

日を追うごとに明らかになる被害状況、増え続けた被害者数。

それでも同じ市内・町内でも状況が違えば、意識も違う。災害ってそういうものなのか、改めて知った今回の出来事。阪神淡路大震災も、東日本大震災も、熊本地震も、見てただけのことだった。

生きている幸せ、何もなかった幸運。日常が殆どを占めているありがたみ。

 

それにしても、警報、避難情報、水位…、デマとか正確さとか公式発表とか報道とか。情報について、正しさについて考えさせられた。そして、それ以上に意識の違い、温度差。何かを発信できるというのは、うまく言うなんてただのエゴかも知れない。コピーライターとして何が出来るかなんて。

被災者は今をどうにかしなければならないし、今後への不安を一ミリでもなくしたい。行政含め支援者はどうか。被災しなかった他の県民はどうか。何を思い何を目指しているのか。

 

災害支援の最前線にいるネットワークにスローガンを依頼され、報告会議に顔を出した。ビルの一室に100人を超す熱量、各避難所から吸い上げられる情報・課題、そして統制されていない何か。仕組みとか順序とか表現とか。効率など考えるべきではないのかもしれないが、これから起こりうる被災地での二次災害・心のケア・暴力被害。「頑張る」、ほかないのか。先走る想い、見えない仕組み。

 

県内中自粛の嵐だ。主要なイベントは軒並み中止。地元の盆踊りまでなくなった。被災地を応援するでもなく、被災者に義援金を集めるでもなく、代わりにこれをするから復興した際には大々的にやると発表もなく。

 

自粛って何だ。

 

大丈夫だったところが何もしないことで、誰が喜ぶのだ。誰が助かるのだ。子どもたちは残念がり、理由も分からず次への行動も起こせない。自粛って何だ。お祭りをして亡くなった方に手を合わせ、売上の一部を義援金に回し、地域でも備えていこうということで、さらにコミュニティは強くなると思うのに。

 

自治体の発信力の違いが支援に差を生んでるケースがあったようだ。送り手の情報格差。被災地は電波が届かない。要支援者はデジタルから遠い。報道にはバイアスがかかる。今後に向けて、今日そのものをどうするか。被災した人も、日常にいる人も、みんなんで考えるべきではないかと、思った。

 

自粛って何だ。

僕は、僕らは考えようと思う。

水害、その後 〈平成30年7月豪雨〉

2018年7月7日土曜日。

避難先から戻ったのはこの日の昼前。結局自宅にとどまった母が昼食を持ってきてくれた。割と近くにいるのだが、父親だけ小学校に避難したらしい。(集団避難生活を拒むのだ、無理もない)

今朝方コンビニで買った焼きそばを子どもたちは先に食べていたので、自分がその昼食を食べながらこれまでの話をした。クルマは乗れるものの、足の手術をしており歩き回るのには不自由する。

 

その後、洗濯をしたり横になって休んだり日常と同じことをするうち平常を取り戻しつつあった。本当にありがたい、幸運だと思う一方でテレビの画面に映る、想像以上に酷い状況に絶句、これが自分の住む家だったらと思うと本当に恐ろしかった。

 

今朝方家内と合流した後、一度は家内の実家の無事が確認されたのだが、それ以降連絡がつかなくなった。テレビ画面の惨状が家内の実家のごく近く。あの見慣れた風景が信じられない状況になっている…絶望と希望とが混乱する。これは東日本の津波のようではないかとさえ。

 

それでも疲れがどっと出て何度も寝てしまったが、ネット上には救助要請の画が次々と。同じ状況になってやしないか、地区の名前まで同じだ。「助けてください」これをシェアしたとしてこれは有効な手段なんだろうか。拡散を仕事にしている今、まったく逆のことを考えている。でも相変わらず連絡はつかない、どうしようもない。そんな夜になった。

そんな中、横浜に住む義母の妹さん一家から電話。姉の安否について知っていることはないかと。知る限りのことと昨日までのことを全部話しをしたが、果たして。

 

 

 

2018年7月9日日曜日。

今日になって雨も止み晴れ間さえ出て来た。水位もかなり落ち着いてきて、午後には避難準備情報やだいぶ長かった大雨特別警報も解除。とっくにこの辺は日常になっていたが、自分としても安心できる状態になった。(これを書いている今も大雨洪水警報が出ているが)

 

自動車屋からも電話があり安否確認ついでに自動車の問題はないかと聞かれ、取りに行った眼鏡屋でもその話になった。水道水が飲めないという情報もあり、飲料水をとりあえず10リットル程確保。水道は出るしガスも生きてるので、煮沸は可能。それに伴って大容量の手指消毒液も買った。ホームセンターでは、長靴がかなり買われていた。底が抜けないようにという、これは明らかに水害に合われてこれから掃除をするのだろう。うちは本当にラッキーだ。連日の雨通勤でくたびれたレインウェアも新調。今頃は透湿防水素材を謳ってても、数千円で上下が来る時代。

それと自転車で出たのだが、明らかに普段少ない裏道にクルマが来ている。ナビが誘導しているのだろうか、県外ナンバー、泥のついたクルマが通勤路に並ぶ。ずっと鳴っているヘリの音。増え続ける被害者の数。この日常・非日常の合間。それでも自分は無事じゃないか。余計なことに力を使ってはいけない。

 

真備町では電話が通じないらしい。それに断水、市内の学校がこれから二日間休校になるのでその間、ここで過ごしてもらうことになった。大きな被害のある地区にいながら、奥の高い位置に住んでいたため難を逃れていた。そして何とか道も通じている。山が崩れなかったのが更に幸運で、このときばかりは日頃の不自由さが生きたのかと思った。

 

明日提出の企画書はもう自分の中では完成していたので、CCのやり取りにそれどころではなかった。また落ち着いたら、今回の教訓に準備や決めごとをしておこう。

 

今はこんなことしか書けない。残しておきたくてこの気持のまま書く。

思い出したら追記するかもしれないが、書く。書いておく。

はじめての避難 〈平成30年7月豪雨〉

2018年7月6日金曜日。

そう言えばここ数日ずっと雨が降り続いていた。

乾かない合羽を着続け、雨用にと買った合皮のスニーカーを履き続けて出勤している。もうすぐ、やっと梅雨らしい梅雨だと呑気なことも言っていられなくなるようになるとは。

そしてどうも状況が深刻になり始める。JRや高速道路に影響が出始め、会社から安全第一に動き、早めの退社を促すメールが来た。

何とか月曜提出の企画書を修正し、週末の動きに対応し出社しなくてもいいようにPCを持ち帰る段取りをした。

子どもたちは警報が出ながらも暴風でないため普通に登校したのだが、通学路が安全であると確認できたので普通に下校させますとのメールが入った。(※5日の時点で警報が出ている。)

 

倉敷市が避難準備と出た。この先のことはわからない。でも、ここは海沿いや山沿いじゃないしとか、やっぱりまだ具体的に自分の行動にリンクしていなかったと思う。かろうじて帰り、子どもたちの無事を確認。安心する。

しかし。待てよと。

万が一でも状況を想像したことはあったか。もしこの通りになったら、自分に関係ある地域が対象になったら、もしあの川がこうなったら、、、知識も物もやっぱり圧倒的に準備不足じゃないか。

地震がある度に備蓄や持ち出しの必要性を感じつつ行動を起こしていなかった。しかし時間がない、まず避難所はどこだ。何を持ち出せばいい?子どもたちにとってはただの週末、話し合ってくることもなかったなあ。まずは情報を集める。

小学校までは遠い。現実的なのはイオンモール倉敷の立体駐車場、そして坂の上にあるクラレの事業所。ただクルマがない。仕事に行っている家内とはあとで合流するとして、イオンか、、、。

最低限の荷物を、、、何がいるんだろう。貴重品、常備薬、着替え、ウエットティッシュ、タオル、暑くは無いはず、しかし量にも限界がある、明かりや腰のことも考えとこう。不安が一度に来る。持っていける食料は殆どないが、焼いてない食パンやコーンフレークを子どものリュックに入れる。万全じゃないのはわかってる。わかってるけど。

 

強まる雨脚、鳴り止まない警報。家が安全なのか自信がなくなってくる。どうしたらいいんだ。子どもを寝かせる。早めに寝ておけと言いながら、何があるかわからないからと。言いたくはないが、辛い。…

いつもは週末、土日を楽しみにしてる子どもを風呂に入らせ、体力をつけておいてと言った瞬間、爆発音と振動。不安が走る。え?何、何なんだこれは?結界なのか、地震なのか、落雷なのか。親として何も答えられない。でもすぐTwitterに投稿があり、どうやら爆発事故のようだ。報道より早い情報を初めてリアルに感じたが、不安がる子ども以上に不安だった。・・・

 

とうとう防災放送が鳴る。何度目かだが、今度は具体的だった。「小学校か、イオンモールに避難をー」とうとう来たか。寝たばかりで混乱する子どもを起こし、なぜ雨の中夜中出なきゃいけないか落ち着いて説明しながら、一応銀マットや傘も持って合羽を着て歩く。何がどうなるかわからない、ごめんな。

歩いて5分。渋滞が始まっている。近所の人もさっきの放送で動き出したようだ。立体駐車場に入ると安心だが、どこに取り付こう。こんなの子どもは初めてだ。座れるところを探す。色んな人がいる。これだけのスペース。まず頑丈さと高さで命は大丈夫、夜さえ明かせば物資もある。

 

その時、偶然ご近所のOさん発見。安心した。さらに、クルマの中にお子さんたちどうですかと言っていただき、ご厚意に甘える。素晴らしいな、この余裕を持てるお人柄、本当にありがたい。自分も一度はご主人の助手席に乗せてもらうが、バケットタイプの2シーター。やはり長時間は無理だった。鍵開けとくんでご自由にどうぞとまで言っていただける。言葉もない。

 

止めている場所が屋上なので車外に出ると濡れるため、歩いて階下に降り居場所を探すことにした。歩きまわるうち、クルマと建物外側の間に大きな隙間がある場所があり、そこに銀マットを敷く。適度な明るさ、涼しさ。野宿経験を活かす。持ってきた水筒を飲む。水道水に氷と塩砂糖を入れただけ。いつまでいることになるのだろう。

 

ときどきOさんとショートメール。安心した子どもたちは眠れているらしい。ありがたい。そして家内も職場近くの小学校に同僚の方と避難したよう。うちの親には、かなり渋滞なので近くの小学校をと伝えたものの、結局家にいたらしい。。。

 

…降り続く雨。でも今はこの瞬間はマットの上が涼しく、カラダも伸ばせて楽だと言える。早く止んでと祈るばかり。この辺になってくると情報を遮断したくなってきた。あまり眠れない。

比較的場内は安定していて大きな混乱もない。開けてくれたらとかトイレどうしようとか聞こえてくるが、この辺はやはり日本人なのか。いろいろ想定していたものの、極めて落ち着きのある避難風景だった。

 

この日は一時間が早かった。あっという間に朝方になっていた。まだ暗いものの、雨も止まないうちにクルマを出す人が出てきた。どういう判断なんだろう、自分はまだこの先まだ降ることや警報も無くならないこともあり、水位が下がってくるまではと思っていたのだが。

 

朝方家内と合流。無事で良かった。クルマも来た。そしてOさんには厚く御礼を言って、自分のクルマに移動。とは言え子ども同士居れたことはとても良かった。本当に感謝。

 

とりあえず雨雲が午後には抜けそうなのと水位もその辺りがピークなので、そこまで持てば帰ろうということになり、一旦駐車場から下りてみると驚いたことにコンビニも通常営業。清掃業者のクルマも居て、支えてくださる方の存在を思い知った。

 

10時近くになるとイオン本体が開店準備を始めた。開くんだ、、、。もう家に帰りたいという子どもを連れ、場内を歩く。まだここに留まる人もいるだろう。ただこの距離にこの建物があったことは本当にラッキー。他にもご近所さんも多く安心できる場所だった。ただネット上では想像を絶する状況下に、同じ市内でも置かれており、言葉もない。この差は…

一晩頑張ったご褒美に書店でマンガを買う。考えてみるとこんなに長い時間一緒にいたことも久しぶりかなあ。帰宅の途に着くと、この辺りの用水路はとにかく水位が低かった。当然家にも水は来ていなくて何事もなかったのよう。本当に幸運だ。早速ゆっくりする。疲れていた。張り詰めていた。

 

 

ーしかし情報が入るに連れ、倉敷の被害状況がわかり恐ろしくなってきた。家内の実家は、真備町なのである。

生きるということ

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何だかすぐれない。

何をしても何をしなくても、どこか楽でない。情報に正解はなく、真面目さは裏目であり、気にするな論も医者にかかれも正しい。

1年間ストレッチを続けた。骨盤と姿勢を正そうと日々と運動を気を付けた。でも右足に違和感が現れ余計バランスが崩れたのか、結局腰が重い。

そして余計な心配も増幅する。心配しなくていい8割じゃないのか、この先どうなるんだ、何を否定して何を肯定したらいいのか…

そんなとき目にしたこの新聞広告。人間とはこういうものだと言えてはいたかもしれないが、実際生きてみろと言われたらやっぱり楽になりたいと願う自分しかいなかった。苦しみの情報からは無関係でいたかった。この見出しにさえ、考えさせられ救われる。


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そしてこの社説(朝日新聞6/9)。

生きられなかった思い、大人たちの責任。自分とは、生きるとは…。


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横になり涼しいうちに自分を取り戻そうと、四度目になる「木村本」。最近週末は何もせずだ(家の諸々はやってるつもり)。好きなものに触れていると忘れられる。

 

なかなか重い日。歳とともに楽に生きるはずだったのに、体中の筋力も功を奏さず、そんな単純じゃあないぞと試されてるのかなあ。

でもこれが人間、生きるということ。

 

なのかな。

…はぁ


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今日出た6種類の薬。

ちょうど一週間前に気づいた踵の違和感。

腰の相談に乗ってもらっていた整骨院の先生は何だかかなり簡単な見立てだったから、医師である同級生のアドバイスもあって、最初に腰を診てもらっていたクリニックへ行った。

ごく狭い範囲に出るかかとの上の痺れと、特定の体勢で出るぴりっとした痛み。一応糖尿病の血液検査もしたが「抹消神経障害」と言うことになった。それも範囲が先の先で狭く、原因を特定するのはほぼ不可能ではないかと。

色々な可能性を挙げられそれを排除していく説明の間、かなり凹んだ。坐骨神経痛?脳神経?…はぁ

ネットを見ても中々ズバリそのものが出て来ない。足底筋膜炎かと足のサポーター買ったりモーラステープを貼るも効果なく、アキレス腱でもない。しかも右だけ。足の甲を起こしてなおかつ太腿の裏を伸ばしたときにどうやら痛みが走る。痺れは常にあるのだが、普通に過ごしている分にはあまり影響がない。

ただ痛みが出るポイント(ほんの一瞬)になるまいと無意識に庇い無理な体勢でいると、どうしても腰が重くなる。なかなかの悪循環。

と言う訳で、神経なんかに効く薬を飲んで様子を見ようとなったのである。(そこから先はより専門的な機関で、ただ長引くかも知れないと…)


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痺れはこの親指の第一関節の範囲。痛みに弱く神経質な性格なのは認めるよ(整骨院では気にするなと…)。でも本当に何事もない健康って有り難い。普通に過ごせることって、不安も痛みもない生活って、当たり前じゃないんだ。

 

あー、それにしても次から次へといつまで続くんだ〜。先月皆でツーリング行ったときも勝手に腰が重くなって大変だったのに💧

 

人生、人生。