「世田谷一家殺害きょう25年」
迷宮入りする事件がしばしば「物的証拠多数」な気がするのは何故か。解決する事件と解決しない事件の違いは何か。素人ながらそんなことを思う年の瀬。恵まれた、成功を掴まれた家族を襲った悲劇はあまりに痛ましく、恐ろしい。
幸せを奪われ、犯人は捕まらず、時として神隠しのように解決しない「事件」。25年はあまりに長い。北朝鮮拉致事件同様、その長さは本当に残酷だ。大晦日にこんな事件が起こり四半世紀経って解決しない。当事者が既に死んでいれば、二度と解決することはない。そしてこの事件から、何を学ぶのか。割り切れない世の中。
「コード決済詐欺被害 利用者の急拡大背景」
すべての仕組みは詐欺につながる。そもそも詐欺かどうかは紙一重。腐敗と発酵くらいの差だ。善悪も同じ、戦争だってそうだ。戦うことが正義であり悪であり、平和のために武装をする。矛盾というより表裏。
自然界にもウイルスがいて細菌がいて、食物連鎖がある。何かの正義は何かの悪だ。騙す方騙される方、利用する方される方。その違いは、捕まるかどうか「その時の」法に触れたかどうか。絶対などない。そんな時代にコンプライアンスという概念がある。究極、建前か。正しさは「良さ」ではないと感じる今、やはりその時の法に触れなければという、「薄いグレー」を良しとせよが本音。寄りかかるわけには行かない。だから生きることは、自らが生きることでしかない。
このアンケートはどう機能するのか。国としては「復興に向けて全力で取り組んで」いる。が、被災者の多くが2年を経過し仮設住宅から出られない。もうすぐその悪夢の元旦を迎える。被災した方々はやるせなさを痛感させられているのではなかろうか。少なくとも自分が想像するに、そう思えてならない。
結局、運だ。その時その状況で同じように被災して見えても、実際はそれぞれ違う住宅事情で、違う家族構成で、違う職業で違う収入。すぐに新しい生活を始められる人と、全く先が見えない人がいるだろう。
備えよ備えよと言われても、国だって備えられない。まして個人で生き延びたあと、万全な人が何人いると考えているのか。皆が大企業に勤め、皆が投資に成功し、皆が情報を有効に活用し行動していて初めてその旗振りは機能する。でも実際はその逆だ。
なおかつ災害公営住宅の建設が進んでいない理由が挙がる。そこにたまたま住んできた人の日常だけが不条理に不公平に奪われ、我慢を強いられる。備えろに対し、出来ない理由がある矛盾。結局、幸せは運でつかみ運で妥協するものか。全力じゃなくていい、備えられている状態というのは「頑張ってます」ではないはず。
「古いロッカー『鍵ガチャ』に 津山観光センターで人気」
いいニュースだ。キャリーバッグ客が増え古いロッカーは利用されずにいた課題を解決したアイデア。地域を知れる、エンタメになっている、収益につながる、古いロッカーとのギャップ、SDGs的でニュースになりPR効果も高い。昔のグリコのように「おもしろくてためになる」は、クリエイティブそのものだと思う。安易に処分し、デジタル施策に予算を付けるよりよほどいい。拍手。
「4年後は個人でも『金』を 東京デフリンピック・バド混合団体V」
ノートルダム清心女子大4年片山選手、卒業後はアスリート雇用で関東を拠点にするという。スポーツを頑張る、継続し成績を上げ、さらなる高みを目指すことは、この時代企業にとってもプラスだということ。言ってしまえば、広告PR効果とその取組の正しさ。その比率はどうか。正しく言語化しているかどうかは別だが。
最初に勤めた会社に、聾者の方を含め障害を持っている社員が何人かいた。が、聾者のある女性は、明るく元気で読唇でほとんどこちらが普通に喋っても通じた。それに驚くばかりか、仕事上ハンディを感じさせない働きぶりと、社内の空気を明るくさせ助け合おうとする視点が当たり前のようにあったのは間違いない。
形式張った入社試験を毎年行って篩いにかけたつもりでも、そのほとんどが数年で去っていく状況では目的と手段があまりに遠い。何よりそんな空気がもたらす建前感の方が、根底にあってはマイナスでしかなくまた悪循環となる。
すべてにおいて、選ばれるためには健全性のようなものだと。
「高校野球『7イニング制』議論続く」
加盟校の7割が反対しているらしい。課題は猛暑対策なのに、反対の理由は勝負の醍醐味だのプレー機会の減少だの、論点がズレている。
根底にある夏場、健康に戦える条件ではなくなったことに対し、それはもう夏の屋外スポーツではないのかもしれない。と考えられる人間がいないとこんな議論になるのか。この世の中全部がそうだ。正しさ、良さがそれぞれ。力関係。当事者は選手、つまりは高校生なのに、どうやら違う視点で反対しているらしい。
サッカーのように単純に試合は秋~冬もしくはドームで行うようにすればいいのでは。地球環境そのものが世界的に変わってきている中、議論の焦点が一競技の価値レベルでは噛み合わないに決まっている。