「備前市立小教諭を逮捕」
そういう趣味があってこの職についたのだろうか。それともそれは紙一重なのだろうか。私は聖人君子などでは到底ない。正しさを振りかざせる立場など到底ないが、罪の意識があったのにそれでも教職に就けるというのはどういうことなのだろう。彼らに限らず、仕事とはプロとは何か二面性を孕んでいることを織り込まなければいけないのかと。
きっとこれは氷山の一角。いや本質なのかもしれない。特に日本は「本音と建前」「忖度」の国だ。真逆の建前のもとで少なくとも成立していた「先生と生徒」の関係、「保護者や地域」との関係、その今後と現実を想像すると相当な傷だ。現実は終わらない。近年このような事件が増えている気がするのは気の所為なのだろうか。それとも。
「タイ人少女働かせた疑い」
これはもっと状況が複雑だ。客がいること、店があること、それが親の指示だったこと、本人は「生活のためだった」こと。嫌なことでも大事な目的のために我慢したのは子どもで、大人は我慢しなかったという構造。そして多くの大人が関与している。おそらく昔からあるイタチごっこで、取り締まってもなくならず、地下に潜るだけ。時代のせいですらない。
経営者は同世代だった。情報と詐欺・デマが紙一重、表現・コミュニケーション・教育と誹謗中傷・ハラスメントも紙一重。同じ時代に生まれる格差。偉そうなことは何一つ言えない。
ただ客の心理はもう理解の外だ。それでも今に始まったことでないとしたら、やはり世の中すべて表と裏だと思い知る。
「警官のクマ駆除 経験不足伴う危険」
これも難しい問題だ。正解は何か、課題は何か。現実にひとつずつ対処するほかないのだろう。人命最優先なのか、人命は市民か警察官か。経験や危険の件は少し疑問だ。そういう仕事じゃないのか。
われわれなど経験のない仕事をさせられ、生活を苦しめ健康を損ねている。そんなこと何のニュースにもならない。ではどうすればいいのか。AIはなんと答えるだろう。
「苫田、苫田鞍部の2ダム 完成20年で特別カード」
ダムカード。ではこの温泉をイメージした「美少女キャラクター」というのはどういう必然性・妥当性があるかというと。だから紙一重なんだ。美少女キャラクターを起用するのは、美少女キャラクターが好きな層か美少女キャラクターが潜在的に好きな層がいる(=今来ている)からという理由に他ならない。ダムを具現化したものでも、苫田を擬人化したものでもない。美少女キャラクター。性犯罪は厳しく取り締まるが、ダムのPRに美少女キャラクターは「是」。その線は文字通り線の向こう側とこっち側で、その距離は線の幅でしかないのだ。
根っこは同じでもいい、線のこっちにいれば。これが本音。うーん。だから自分はこの業界に向かないのだな。