コシトタニマトマルイスト

やっぱり旅に出たいCW/CD系会社員の、すべて独り言。

思う。1月27日付山陽新聞より

「岡山冬季国スポ開幕」

 もうこれは多くを語るまい。何しろこれを1年の間やってきた(もっと言えばテーマやスローガンを応募したときに始まるのだ)。盛り上がってほしい。そしてこれを機会に”冬のスポーツを応援する人”になった。俄然応援する。ガンバレ岡山!www.pref.okayama.jp

 

「戦争80年の残影 1戦争トラウマ 苦しみ続く元兵士と家族」

 至極当然ではあるまいか。戦争を知ってトラウマになるなんて、そしてそれが連鎖していくなんて。それとも戦争のある世界線を生きているうちは分からないかも知れないが、戦争がない世界は平和ではなくもっと残酷だとでも言うのか。

 戦争は何も産まないのに、なぜその選択肢を人間は持つに至ったか。

 日本ならではの恥の精神性、天皇の存在、偏見、そしてとっくに終わったとされる戦争でも、戦後の家庭内に暴力が根強く残った。”終わった”後もトラウマと負の連鎖を残し続ける戦争。放射能や地雷そのものだ。それを知っていたのではないか、戦争を考えた存在は。戦争は、永久に終わらない。

 

「リアル・ボイス 居場所探す子どもたち 父の暴力」

 戦争に続き戦争以上に悲惨な現実だ。色々な、本当にいろいろなタイミングが重なり、起きている。重ならなければ、ひとつでも重ならなければ、こんな事は起きていなかった。そのドミノはどこかで途切れていたはず。

 子どもは子どもなりに「わかる」「耐える」。これも上の記事同様、終わらず連鎖し、残り続ける。そして隠される。

 あの頃までは楽しかった…そんな記憶を遮る母の病死。子どもにぶつける養父。それを「わかる」子ども。残酷だ。悲惨すぎる。一時保護されても何も変わらない。

 それでも家にいたかったという声が胸に刺さって抜けない。

 

「井原の特定失踪者 清水さん帰り待ってる」

 そしてもうひとつ終わらない戦い。一向に進展しないこの問題。

 鹿児島にいた頃、海岸に注意を促す看板があった。それがこの山陽側でも起きていたなんて。

 あるかどうかもわからない可能性に賭ける人たち。ご家族はどんな気持ちでいらっしゃるのだろう。