昨日の委員会でのこと。
一年間携わってきた事業の総括を、それも自分で書いたレポートで、しかもよく知った数人のメンバーとごく小さな部屋でしていたとき、急に動悸が起き冷静で居られず何とか終えたものの、あの時の記憶が蘇ってきた。(誰にも気付かれなかっただろうが)
もう数年こんなことは起きてなかったのに、数年通った病院ともその間飲み続けた複数の薬とも無縁の生活が出来ていたのに。
思えば15年前この業界に転職した頃、何も知らず誰も頼れず色んなものを見失って、来る日も来る日も辛い朝を迎えた。
途中下車、上れない階段、満員の車内…、無謀な転職だったのか。常に不安がつきまといつつも仕事で少しずつ結果を出しながら、二つ目の病院で出された薬を減薬しながら過ごしていた。あの日も。
とあるまちづくりプロジェクトの定例会で、自分で書いた企画をよく知った人たちの前で喋るだけだったのに、急に動悸を起こし冷静で居られず訳の分からないまま終えたのだ。本格的に通院するようになったのはそれから。あの時のショックは忘れられない。
そして完全に断薬して数年、何とか業界に慣れ会社に慣れ本当の自信を付けていた矢先、昨年の春、やはり自分の企画をプレゼンしていたとき、また同じことが起きたのだ。
場数も踏んでプレゼンが仕事になり、考えと言葉で評価されるようになったのに、何が足りないのだ。もしかしたら…。
「読む」行為がNGではないか。なまじ紙にしたためてしまって読もうとするからなのか、間違えるはずはないと力を入れるからなのか。自分の言葉、勝手知ったる場、それでもか。入社当初のぎこちないプレゼンとは違うはず。なのに。
今回はダメージも大きく、今朝はホントにヤバかった。頓服はない。お守り代わりの漢方を飲むが、全身がだるい。
…思い出した。本当の、本当のきっかけは小6の国語の時間じゃないか。当時運動も勉強も出来た自分は、ある日の授業中教科書を読むことになって、それもお手本のように指名された途端、皆がシーンと聞く空気に耐えられず震えてきたんじゃなかったか。それでも止められることも笑いで誤魔化されることもなく。
長かった…いつもの「できる」自分とのギャップを晒し、辛い時間だった。翌日からの皆の態度ももしかしたら違ってたかも知れない。恐らくはこれが尾を引いている。
克服するには、本格的なカウンセリングしかないのか。もうデパスやソラナックスに頼る訳にはいかないし、パキシル療法に戻る訳にもいかない。桂枝加竜骨牡蛎湯の気休めに、ノイ・ホスロールも注文した。
…
ほんの少し上向いた今日の午後は、何とかGSを駆り車検に持ち込んだ。本調子ではない。少しは楽しめたがどこか上の空。
上手く付き合う他ないな。
楽しもう、せめてこの人生。