コシトタニマトマルイスト

やっぱり旅に出たいCW/CD系会社員の、すべて独り言。

はじめての避難 〈平成30年7月豪雨〉

2018年7月6日金曜日。

そう言えばここ数日ずっと雨が降り続いていた。

乾かない合羽を着続け、雨用にと買った合皮のスニーカーを履き続けて出勤している。もうすぐ、やっと梅雨らしい梅雨だと呑気なことも言っていられなくなるようになるとは。

そしてどうも状況が深刻になり始める。JRや高速道路に影響が出始め、会社から安全第一に動き、早めの退社を促すメールが来た。

何とか月曜提出の企画書を修正し、週末の動きに対応し出社しなくてもいいようにPCを持ち帰る段取りをした。

子どもたちは警報が出ながらも暴風でないため普通に登校したのだが、通学路が安全であると確認できたので普通に下校させますとのメールが入った。(※5日の時点で警報が出ている。)

 

倉敷市が避難準備と出た。この先のことはわからない。でも、ここは海沿いや山沿いじゃないしとか、やっぱりまだ具体的に自分の行動にリンクしていなかったと思う。かろうじて帰り、子どもたちの無事を確認。安心する。

しかし。待てよと。

万が一でも状況を想像したことはあったか。もしこの通りになったら、自分に関係ある地域が対象になったら、もしあの川がこうなったら、、、知識も物もやっぱり圧倒的に準備不足じゃないか。

地震がある度に備蓄や持ち出しの必要性を感じつつ行動を起こしていなかった。しかし時間がない、まず避難所はどこだ。何を持ち出せばいい?子どもたちにとってはただの週末、話し合ってくることもなかったなあ。まずは情報を集める。

小学校までは遠い。現実的なのはイオンモール倉敷の立体駐車場、そして坂の上にあるクラレの事業所。ただクルマがない。仕事に行っている家内とはあとで合流するとして、イオンか、、、。

最低限の荷物を、、、何がいるんだろう。貴重品、常備薬、着替え、ウエットティッシュ、タオル、暑くは無いはず、しかし量にも限界がある、明かりや腰のことも考えとこう。不安が一度に来る。持っていける食料は殆どないが、焼いてない食パンやコーンフレークを子どものリュックに入れる。万全じゃないのはわかってる。わかってるけど。

 

強まる雨脚、鳴り止まない警報。家が安全なのか自信がなくなってくる。どうしたらいいんだ。子どもを寝かせる。早めに寝ておけと言いながら、何があるかわからないからと。言いたくはないが、辛い。…

いつもは週末、土日を楽しみにしてる子どもを風呂に入らせ、体力をつけておいてと言った瞬間、爆発音と振動。不安が走る。え?何、何なんだこれは?結界なのか、地震なのか、落雷なのか。親として何も答えられない。でもすぐTwitterに投稿があり、どうやら爆発事故のようだ。報道より早い情報を初めてリアルに感じたが、不安がる子ども以上に不安だった。・・・

 

とうとう防災放送が鳴る。何度目かだが、今度は具体的だった。「小学校か、イオンモールに避難をー」とうとう来たか。寝たばかりで混乱する子どもを起こし、なぜ雨の中夜中出なきゃいけないか落ち着いて説明しながら、一応銀マットや傘も持って合羽を着て歩く。何がどうなるかわからない、ごめんな。

歩いて5分。渋滞が始まっている。近所の人もさっきの放送で動き出したようだ。立体駐車場に入ると安心だが、どこに取り付こう。こんなの子どもは初めてだ。座れるところを探す。色んな人がいる。これだけのスペース。まず頑丈さと高さで命は大丈夫、夜さえ明かせば物資もある。

 

その時、偶然ご近所のOさん発見。安心した。さらに、クルマの中にお子さんたちどうですかと言っていただき、ご厚意に甘える。素晴らしいな、この余裕を持てるお人柄、本当にありがたい。自分も一度はご主人の助手席に乗せてもらうが、バケットタイプの2シーター。やはり長時間は無理だった。鍵開けとくんでご自由にどうぞとまで言っていただける。言葉もない。

 

止めている場所が屋上なので車外に出ると濡れるため、歩いて階下に降り居場所を探すことにした。歩きまわるうち、クルマと建物外側の間に大きな隙間がある場所があり、そこに銀マットを敷く。適度な明るさ、涼しさ。野宿経験を活かす。持ってきた水筒を飲む。水道水に氷と塩砂糖を入れただけ。いつまでいることになるのだろう。

 

ときどきOさんとショートメール。安心した子どもたちは眠れているらしい。ありがたい。そして家内も職場近くの小学校に同僚の方と避難したよう。うちの親には、かなり渋滞なので近くの小学校をと伝えたものの、結局家にいたらしい。。。

 

…降り続く雨。でも今はこの瞬間はマットの上が涼しく、カラダも伸ばせて楽だと言える。早く止んでと祈るばかり。この辺になってくると情報を遮断したくなってきた。あまり眠れない。

比較的場内は安定していて大きな混乱もない。開けてくれたらとかトイレどうしようとか聞こえてくるが、この辺はやはり日本人なのか。いろいろ想定していたものの、極めて落ち着きのある避難風景だった。

 

この日は一時間が早かった。あっという間に朝方になっていた。まだ暗いものの、雨も止まないうちにクルマを出す人が出てきた。どういう判断なんだろう、自分はまだこの先まだ降ることや警報も無くならないこともあり、水位が下がってくるまではと思っていたのだが。

 

朝方家内と合流。無事で良かった。クルマも来た。そしてOさんには厚く御礼を言って、自分のクルマに移動。とは言え子ども同士居れたことはとても良かった。本当に感謝。

 

とりあえず雨雲が午後には抜けそうなのと水位もその辺りがピークなので、そこまで持てば帰ろうということになり、一旦駐車場から下りてみると驚いたことにコンビニも通常営業。清掃業者のクルマも居て、支えてくださる方の存在を思い知った。

 

10時近くになるとイオン本体が開店準備を始めた。開くんだ、、、。もう家に帰りたいという子どもを連れ、場内を歩く。まだここに留まる人もいるだろう。ただこの距離にこの建物があったことは本当にラッキー。他にもご近所さんも多く安心できる場所だった。ただネット上では想像を絶する状況下に、同じ市内でも置かれており、言葉もない。この差は…

一晩頑張ったご褒美に書店でマンガを買う。考えてみるとこんなに長い時間一緒にいたことも久しぶりかなあ。帰宅の途に着くと、この辺りの用水路はとにかく水位が低かった。当然家にも水は来ていなくて何事もなかったのよう。本当に幸運だ。早速ゆっくりする。疲れていた。張り詰めていた。

 

 

ーしかし情報が入るに連れ、倉敷の被害状況がわかり恐ろしくなってきた。家内の実家は、真備町なのである。