何の心配もないお家に泊まって、しかも暖かい風呂と美味しい夕食をいただいて熟睡の極みのはずだが、今日の天気と残りの行程を考えると心配性が頭をもたげ4時半に目が覚める。
本当なら土日に高知に寄って帰宅しておくというのが理想だったのだが、そのための準備をしていたわけでもなく、今ここが熊本の南端だと考えるといろいろと絶望的ではあった。実はTwitterで知り合った高知の方とお会い出来たら…と言っていたのだがその可能性は極めて低くなりつつあった。
前の晩、雨が降っても大丈夫なように木の下+ブルーシートを。
もう本当に、田舎の風景だった。
朝食までいただき、叔父さん叔母さんありがとうございました!
どうやら夜半に降った雨はひどくなることもなく、一応レインパンツだけ履いて7時に出発。何とか我慢しているような空。とにかく北上する他ない。今日も明日もないもんだ。さあどうする、勝負の日。とりあえず今回の目的の一つ、熊本城を目指そう。
例によって平日である。田舎ほどクルマなのでどこもラッシュにぶつかる。そしてその土地々々の癖がある。どうもこの九州南部は速度が遅い割に右折が強引な傾向があるような。なのでタイミングが読めず、行くのかよというケース多し(それであの日…)。
休憩、道の駅竜北。うーん、やっぱりR3だと流れが悪いし天気もなあ。
そして何とか10時に熊本城に。何せ市街地中の市街地。ちょっと駐車場を探すだけでもこの重装備だと一苦労。といってもほとんどケースに入ってるから見た目はスマートそのものなんだが。
まずこの鉄柵に出迎えられる。崩れた城壁。衝撃を目の当たりに。
…今は穏やかにしているが崩れように言葉が出ない。平日とは言え人も多く来ているようだ。昨日泊まった叔母の家でも地震関連の新聞を全部スクラップしていた。熊本の復興はまだこれから。いやそれどころか余震の恐怖に加え、阿蘇の噴火に台風にと熊本にすべての災害が重なったのではないかという年だったはず。この光景、胸に刻んでおこう。
実はその震災でも被害の大きかった合志に住み、県職員でもある友人がいる。8年前の夏も彼は急に来た僕に対し、実は娘が熱を出し今から病院なんだと言いながら夜駆けつけてくれ、一緒に野宿地を探してくれたり町の公衆浴場に一緒に入ったりしたのだ。同じ学部でバイク乗り、M君。今回は一昨日の高千穂・K君同様連絡だけ入れて通り過ぎることにした。また会おう。
さて。熊本市街からR387(日田街道)を菊池方面に折れる。西から崩れてくるこの天気、どこまで避けられるか。当てになりにくいナビを見ながら交通量の多い街中でうろつきつつ、何となく走っている。
阿蘇が見えてくると気温も少しずつ下がってきているようだ。霧も出てきて不安がつのる。噴火したらどうしよう、余震が来たらどうしよう。何も心の準備すらしていなかった。真夏に走ったあの頃とは違うが、それでも阿蘇を走れているのは嬉しかった。
大分県境を越え、道の駅せせらぎ郷かみつえに入る。この辺実に山深く水が綺麗。叔母さんが持たせてくれた弁当を食べる。しかし何だか小雨模様、ゆっくりも出来ない。まだまだ大分の海は遠い…。
ただ何の不安も無ければ本当に素晴らしい道である。何度でも走りたい、そう思った。
再び熊本県に入り小国で一旦視界が開けた。なるほど。しかし九州など広いから地名だけ知ってても感覚が追いつかない場所がたくさんあるなあ。九重に出たところで高速(大分自動車道)に乗ることにした。次なる目的は大分で知り合いに会うこと。院内を目指してひた走る。
由布岳PA。上津江からずっと小雨が続いている。寒い。ここで知り合いにメッセージ。何とか会えそう。希望を胸に先を急ぐ。
そして、R387沿いにその店はあったw
いんないからあげ巧(http://www.karaagetakumi.com/)。周囲に何もない1軒の小屋から大音量で流される90年代テクノ。ここで唐揚げ屋をしている彼とはネットで知り合った。自慢の唐揚げも食べずに初対面で15歳も若い彼とテクノ話で盛り上がる。テクノミュージシャンでもある彼の音は正に自分好みで堪らないw(http://fromviper.flavors.me/)。
さらにここで以前ラジオCM制作講座(宣伝会議)で一緒だったNOAS(http://789.fm/)のかくともさんも合流。同じチームになって自分のスクリプトを読んでくれたりネットでのツナガるなどお世話になってる。やあでも5年振りかぁ。(地元ではとっても有名な方^^)
講座とはいえたったの3日間しか会っていないのに、仕事の合間に来てくれた。本当にありがとうございました~m(_ _)m
…さてさて。楽しい時間はあっという間。今日ここでこれからタコパが始まるらしく良かったらここでテント張っては?と言われたものの、ねえ、明日も見えないのに今日ここでいていいものかというのと、どうせいるならゆっくりしたいしなあ。と、おもむろにiPadを開いたところ、、、!!!そう。鳥取を襲った地震(鳥取県中部地震)である。そして時を同じくして実家の母からメール。倉敷でも震度4。九州での地震を心配してたら逆に自宅が危ないのか?と思うと一気に血の気が引いてしまい、こっちは大丈夫だからと返事は来たのだが、このまま気が乗らないままでは申し訳なく、まず南国のSさんにお断りの連絡を入れる。(というか今頃ここにいてはそもそも無理っぽい;@satopon1980 さん又是非!m(_ _)m)さらに明日確実にこの辺は雨だということがわかり、よしじゃ留まる手はないなと思いっきり後ろ髪を引かれながら院内そして会いたかった人たちと別れる。(巧君、かくともさん、又是非ゆっくり来ますんで!)
こうなると、もう最短で帰宅する他ない。安心院ICから高速に乗り、とにかく佐賀関を目指す。とにかく。天気もいまいちなまま日もどんどんくれていくまま、何よりどうしようの不安は募るまま、あまり覚えていないがひたすら走ったと思う。途中滅多に入らないSAのスタンドで給油し南下、南下。大分宮河内料金所を出たのはすでに17時を過ぎていた。さらにR197を東へ東へ。暗くも少し見慣れた海沿いをひた走る。近付く旅の終わり、人との別れ、知らない土地を離れる寂しさ、家に近づく安心感、見知った風景に覚える妙な残念さと複雑な感覚に襲われる時間だ。いろいろな曲線が交差するのがよく分かる。そして、18時のフェリーへ。。。
辺りは真っ暗。船内でカップヌードルを食べる。ひょっとして中津江で叔母さんの弁当を食べてから何も食べてなかったような。民宿やキャンプ場もよぎるが。
約1時間後三崎着。R197は本当に真っ暗。GSで初めて本格的な夜ツーになるが、ほとんど見えない;ライトが暗いはずはないんだがこんなもんかなぁ。明るいと最高の道になるはずの”メロディーライン”、しかしもう後続に先を譲ったりしている。圧倒的に夜は寂しい道だ。でまた、何も考えずにそのまま海岸沿い(R378)を走る。R56で大洲経由の方が良かったか、より暗いでもどこか安心感のある「つもりだった」海岸沿いを選んでた。
八幡浜市保内のコンビニP。メロディーラインを抜けてこれから海沿いを走るところ。とは言えこの時点で20時過ぎ。無茶苦茶な長い夜のハジマリ。
そしてとうとう伊予ICに乗る。もう走り続けて帰るしかない。いつの間にか雨は置き去りにしている。高速上なら少なくとも休憩も食事もある程度計算できるし迷うこともない。あとは体力、いや気力がどうか…。
伊予灘SA。思わず横になった芝生があまりに気持ちよくて、テント張ってしまおうかとさえ。
もう何度止まったか、何度意識を失いかけたかわからない。正直走行中に減速してたような気がする。単調な夜景、疲労。しまった、こういう状況にするんじゃ…
ほとんど記憶もないまま与島へ。休憩だか何だかさえわからない。こんな無茶な走り20代ならまだしも今こうやって出来てしまってるのもGSだからこそか。でも確実に近づいてる、いずれにしてもここまで来た。もうすぐだ。
倉敷IC、3時21分。兎にも角にも何とかかんとか、無事に帰ってきた。ETCが俄然必要だと痛感した最終日だったが、しかも日付を超えたので3泊5日という強行日程。さっきまで九州にいたはずなのに、今朝(厳密には昨日の朝)目覚めたのは水俣だったのに、熊本~大分~愛媛~香川~岡山と5県をまたいだことになる。最終日は高速道路比も上がったこともあり走行距離は600kmを超え、総走行距離も約1600kmになった。
いやいろいろあったな。。。ちょっと何が何だかわからないし、しばらく振り返ることもできないが、まずは無事に戻れたこと家族も家も無事だったことに感謝し深い眠りに付くとしよう。今度はもう少し大人の旅をー。 ~The End ~
〈本日の走行距離:630km〉総走行距離:1570km
今日のルート
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